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#4 LDラベルを貼らないで! −学習困難時の可能性− 
玉永公子(教育・心理カウンセラー)


* 「ポトスには水を、サボテンには乾きを」
植物を育てるとき、我々はその植物の性質を知り、それに適したやり方で世話をする。教育も同じである。教師が一人一人の子供の特性を無視して生徒全員に同じようにかかわったら、「サボテンを水栽培する」という事態にもなりかねないのである。

1. LDとは何か

* LDの意味するもの…1963年、ニューヨーク市で行われた、学校生活で問題を持つ子供の親たちの会合において、MBD(Minimal Brain Damage;微細脳損傷=脳にごく小さい傷がある)、知覚障害、読字困難(Dyslexia)、スローラーナー(学びのテンポが遅い)などの、学習場面での困難を表現する呼び名をまとめてLD(Learning Disabilities)という用語に統一する事が可決されて、今日に至る。
* LDは障害なのか…例えばエアロビクスでインストラクターが右手と左足、左手と右足を同時に別々に動かすときに、それについていけず、めちゃめちゃな動きをしてしまうというのは、いってみれば視覚神経から運動神経の伝達に障害があるといえるのではないか、つまり誰にでもLD状態は存在するのではないか。LDを「学習障害」と訳すのは適切なのか。
* 誰がLD児なのか…LDとはさまざまな学習場面での困難の呼び名を一つにまとめたものであるので、現在のところ「これがLDです」と的確に定義できてはいないし、基準となるIQ数値もさまざまであるが、その定義に共通に受け入れられている、判定の基準となる要素は存在する。それは@LDとは認められない状況(器質的なこと以外の原因(感覚器官の障害、肢体不自由、知恵遅れ、情緒障害、環境的または経済的不利な状況)で起きた「学習のできなさ」はLDと認められない)、A中枢神経系の機能不調(「中枢神経系の機能がうまく働かないので学習場面に問題が生じる」というLDの原因論がほとんど立証されていないためアメリカのほぼ半数の州でLDの原因の定義に入れていない)、B心理的過程の不調(LDとは、話し言葉や書き言葉を理解したり使ったりする際の「基礎的心理的過程の不調」であり、その不調とは、聞く、話す、書く、読む、綴る、計算する、数学的思考をする事のできなさに現れるとされている)、C基礎教科のできなさ(LDとは、知能レベルは普通かそれ以上であるのに、例えば計算の手順が把握できないなどといった状態)、D知能と学業の落差/個人内能力の強弱(話し言葉、書き言葉、聞き取り、読み取り、読み技能、計算、数学的思考、綴りのうちどれか一分野でもIQ数値の50%以下の成績である場合に知能と学業の落差有りとされる。また、計算は非常に強いが読み技能が非常に劣るなどといった、一個人が持っているさまざまな能力に強弱がある状態もLDとされる)、といったものがある。
* 難しいLDの定義…アメリカでLD定義が発表されて10年以上がたった頃、ほとんどの州で他の分野(精神遅滞、肢体不自由)の子供より、LDと分類される子供の数が増えてきた。これはLD定義が曖昧であるため「学校でうまくいっていない子供はLD」といった把握の仕方によるものとも言われている。LDのための全米合同委員会は「LDとは何か」という明確な内容を提示した。@LDとは、学習を困難にするさまざまな機能不調の状態を、状態別にグループ分けした、そのグループの集まりである。ALDと判定するためには、聞く、話す、読む、書く、数学的思考などの能力を身に付けたり、使用したりする際の機能不調が、一つまたはそれ以上の深刻な器質的な原因によるものでなければならない。B貧困や子育てのまずさ、学校での教え方の失敗や社会的圧力、または文化的な違いなどの結果としての個人の状態はLDとはみなされない。CLDの原因は中枢神経系の機能不調として知られているし、大半のLD関係者もそれに同意しているが、ほとんどのケースでそれは立証されていない。Dもしも中枢神経系の機能不調の疑わしい原因が証明されなければ誰もLDと呼ばれるべきではない。ELD状態は、精神遅滞の人や経済的に不利な状況の人にでも、器質的に元々存在することがあり得る。
* LD児の発生率…アメリカでは日本よりも「読字困難」が多く見られるが、これは中枢神経の機能不調がアメリカ人に多いというわけでなく、言語の違いによるものだといわれている。日本語の仮名は一字が一音になっていて読みやすいが、英単語は一字につき一音の発音ではなく発音に沿った綴りが難しいので、同じような機能不調があっても日本語の場合「読字困難」までは至らないのであろう。このことは、個人の中に器質的な問題があったとしても、外部からの刺激の与え方によってはLD状態が避けられたり軽くなったりすることを示唆している。
* LDとADHDの違い…LD(学習のできなさ)と、ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder;注意欠陥・多動性障害)といった行動的な不調は同義語でない。ADHDの特徴として、落ち着きが無く集中力に欠けることなどがあるが、これは程度の差はあれ誰でも持ち合わせている状態であり、ADHDと診断名をつける場合の基準としては6つ以上の不注意の症状が6ヶ月以上続くことなどが挙げられる。ADHD児は学校において「問題児童」とされることが多いが、学習面での困難は生じない。LDとADHDを同義語にすると、かかわり方や指導法や改善法に的確さを見失うことになりかねない。両方の状態が同時に存在している場合にはまずADHDの改善を最初にしないと、学業に向かう態勢が整わない。ADHD状態の改善には薬物療法などの医療が大きく貢献するし、LD状態の改善には教育現場の力が不可欠であるが、両者とも心情的なかかわりが重要となるのである。


2. アメリカにおけるLD認識の現状

* アメリカのLD認識
・ LD分野の現状…政府によるLD定義を判断基準として用いた場合、アメリカの全公立学校人口の約5%がLDという判定を受けている。同時に、LDは相変わらず人々に理解されにくく論争されるテーマとなっている。
・ 読みの問題…LDは読みのできなさ(Reading Disabilities)や読字困難(Dyslexia)と同義語ではないが、LD児童の大多数は「読み」に本質的な欠陥を持っているとされている。
・ 学業成績と知能の落差…知能があり勉学の機会もあるのに学業成績が劣る状況は、LD状態を認める根拠として広く受け入れられている。
・ 貧困によるのか、LD状態なのか…連邦会議は、学習すること自体に問題のある(LDの)子供達と、貧困のため学習ができない子供達とを分けてそれぞれの援助プログラムを確立させることによって、貧困が本来的な理由で学業が劣る子供達はLD援助の対象ではないということを明確にした。しかしながら、「LDによるのか貧困によるのか」を明確に区別するのは非常に難しく、経験的なデータがないのが現状である。
・ 望ましい早期のLD認定…知能と学業成績の間の意味ある落差は一般的に8〜9歳頃まで発見できない。この時期までLDと認定されず、治療的なかかわりがなく長期間過ぎれば過ぎるほど改善への手だてが難しくなる。また、その時期までに子供は2〜3年間、「読むこと」など学業の失敗を経験しており、次への積み重ねもできず長期的に落ちこぼれることが予測できてしまって勉学への意欲が半減し自負心が低くなり、最悪の場合には登校を渋るようになる。こういった事情もLD定義の曖昧さからくるものであるが、正確なLD判定方法を生み出すには、未解決の問題が山積みしているのである。
・ 学際的協力の必要性…LD状態については教育学、心理学、神経学、眼科学、精神医学、言語病理学などのさまざまな分野の専門家が関心を持ち、彼らの自身の独特な見解によってさまざまな状態がLDとなってしまうので、LD分野においての学際的協力が必要とされる。
・ 過度に広範囲なLDラベル…LDにはさまざまな状態が含まれるがその内容は“聞く、読む、話す、書く、読解、計算、数学的思考”の7つの基礎的学習能力に分けられる。7つの異なる分野の「できなさ」をLDという1つのラベルで定義しようとすると、それはどうしても曖昧なものとなってしまう。これを7つに分けてそれぞれを定義する方がずっと容易であり、またその定義を効果的に使用できるので、まずは7つの「できなさ」の明確な判断基準を確立すべきであり、現在アメリカでは「基礎的読み技能」の分野でこれを行っている。
・ 社会的な現象としてのLD…LDと判定されることは、精神遅滞や情緒障害と判定されるよりも、改善の余地があるというような肯定的な結果が期待されるため人々に好意的に受け入れられてきた。そのことがLDと認定される子供の増加の一因となっている。このことからも、定義や判定方法を明確にしていく必要があると感じる。
・ LDリサーチの領域と内容
@LD定義…特に基礎的な読み技能の分野においては、IQと学業成績の落差の有無によってLDを十分に確認することはできない。
A読みのプロセス
・ IQと読み成績の落差の有無だけでは、基礎的読み技能のできなさの指標にはならない。
・ 疫学的には読字困難の発現率に男女差はないが、学校では女子の3〜4倍の男子に読字困難がみられる。
・ 読む力の不十分さは発達的な遅れというよりはむしろ永続的なものである。
・ 読みや読解力は一つの単語の素早い自動的な認知と読み取りにかかっていて、一つの語の遅い不正確な読み取りは読解力が劣ることを予測させる。
・ 一つの単語を正確にスラスラと読みとる能力は、音素でなる文節を読みとる能力にかかっている。単語音素の知覚困難は読字困難の中心的要因である。
B注意力
・ 「注意欠陥」の正確な分類はまだされていない。
・ 「読みのできなさ」のある生徒の約15%は「注意欠陥」も、「注意欠陥」のある生徒の約35%は「読みのできなさ」もあるが、この2つは明確に別のものである。
・ 注意力の欠陥は「読みのできなさ」の程度を悪化させる傾向にある。
C遺伝学…「読み能力欠陥」について、遺伝学的根拠を示す強力な証拠がある。
D神経学…単語認知機能の欠損が、左側頭部における血液の活性化が正常よりも少ないことに関連していることを示している。
E教授法
・ 「読みのできなさ」がある人は音を聞き取る知覚過程に問題があるため、音韻の決まりを明確に教えるプログラムが必要である。
・ 「読みのできなさ」がある人には、文脈的にアプローチするよりも、組織的な発音中心の語学教授法の方が効果的である。
・ 「読み」に多いLD状態…LDは「読みのできなさ」の領域に多い。この問題が他の学科や注意力の問題をも引き起こしていることが示唆される。「読みのできなさ」は文字読み取りや単語認知技能が劣る状態を示す。これは、音素という音の単位を認識するとき、一つのまとまった音の感じを与える音節と、音節からなる単語を区分する能力の不十分さによって起きるといわれる。つまりアメリカでは英単語のスペルを音に変える際の困難があるが、日本では、漢字は別として一字を一音に変えるだけなのでこの種の「読みのできなさ」が少ないことを示唆している。「読みのできなさ」は永続的な欠損として現れるが、早期の適切な対応で改善できるということも発見されている。
・ LD診断とADHD…LDと同じようにADHDの診断基準についても多くの論争がある。
・ 社会適応の問題…LD児は、そうでない仲間と比べて高い不安と引きこもりと抑圧、低い自負心を表すことがあり、また学業的な失敗の原因から成人になっても心情的な問題が続き、社会適応困難を興すこともある。
・ 書き表現におけるLD…綴りや文章表現、文法や構文法の表記に「できなさ」を」示す。


幼稚園レベルでの音韻的知覚の教授(聞き取り発音指導)は小学1年になってからの読み技能にプラスの効果がある。十分に訓練された教師による適切な教授は、器質的に読みのできなさのある子供にも環境的に言語取得に不利な状況にあった子供にも、読みの落ちこぼれを防ぐ効果がある。

アメリカではLDラベルが定められて以来器質的な根拠が無くLDと判定される子供が増え続けている。貧困のために学習の機会がなかったことや教え方のまずさによる学習のできなさ、あるいは曖昧な定義によって認定されたケースが含まれていると思われる。
また、LDに関する研究報告の大部分を占めているのが「読みのできなさ」の問題である。そしてそれに対する早期発見、早期的な治療の学習がLD状態の改善をもたらすことが多く報告されていることから、LD状態は絶対的な障害ではないともいえる。

LDというラベルの含む内容が広範囲すぎることが現在の問題であるともいえる。LDらべるはさまざまな状態(主に7つ:聞く、話す、読む、書く、読解、計算、数学的思考)を含み、それぞれの「できなさ」への対処が適切にできない。1つのラベルでもって7つのタイプのLD状態を全て定義づけることは不可能であり、7つのタイプそれぞれについて明確な定義を定めることが必要ではないだろうか。

LDとADHDは別の原因によることが報告されている。アメリカでは「学習のできなさ」をLDととらえているが、日本では注意力や集中力に問題があったり衝動的であったり感情が激しかったり多動であったりする状態や、知恵遅れ気味な状態をLDとする傾向にある。しかしそれらの状態にはLD状態への対処とは異なった、それぞれの適切な対処が必要である。

LDの適切な対処の原則としては、一斉に同じ指導をするのではなく子供一人一人の学び方の違いに見合った対応をすることである。

* アメリカの学習場面で問題を呈する子供のための研究施設、フロスティング・スクール、また併せて創設された、そうした子供達を教育する学校のフロスティング・スクールの紹介。ここではそれぞれの「できなさ」の種類に見合ったていねいな教育が施されている。現在では個人の弱い能力への対応を強調するのではなく、一個人の全体に働きかけてその上で強い面、弱い面などへの対応をしている。フロスティング・スクールのパンフレットには「我々のゴールは、LDとされる個人のDisabilities(できなさ)にではなくAbilities(できること)に焦点を当てて、彼らを指導激励することによって彼らの人生の成功を生み出すことである」と記述されている。
* アメリカでは、LD教育は特殊教育の一分野とされているが、「特殊教育=障害児教育」ではない。例)ギフテッド(優秀児教育)も特殊教育である。つまり個人の特性を重視した教育である。