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質疑応答
Q.<植村>それぞれ定義は違うでしょうが、諸外国では、特殊教育の対象者をどのような形で認定しているのでしょうか。

A.<柘植>イギリスではステートメントという制度があり、それを受ければ、公の教育でサポートを受けることが可能になります。しかし、ステートメントを受けていない人も、何らかの形でサポートを受けていたり、受けていなかったりと、二段階ありますアメリカでは、個別指導計画(IEP)を持っているか否かが、特別な教育を受けられるか否かの区別になっています。したがってアメリカでスペシャル・エデュケーションを受けている人はすべて、個別指導計画を持っているということです。日本では手帳がありますね。愛育手帳など。それを持っていることにより国から補助を受けたり、いろいろなサービスを受けられますが、それを持っていなくても、特殊学級や養護学校にいる場合があります。したがって手帳のある人だけがスペシャル・エデュケーションを受けているわけではないので、スペシャル・エデュケーションの対象者の割合の数字に関しては、非常に慎重に判断しなければならないということです。

Q.<植村>現象面で読み書きが遅れている子どもがいた場合、知的な障害が原因なのか、あるいは知的には遅れていないという判断を具体的にどのように判断するのですか

A.<柘植>イギリスのディスレクシア協会の話を少ししましたが、ディステパンシィといって、知能テストだと100でも読み書きのテストだと80だとか、知能は140でも読み書きが110などという風に、その差が20や30という大きな差があるときに、ディスレクシアと判断しているようです。同じことが学習障害でも言えることができると思います。

A.<石塚・文部科学省特別支援教育課調査官>認定の問題ですが、盲学校・聾学校・養護学校の場合、政令で基準が決められていまして、該当する子どもが入学できることになっています。また、通常学級に通いながら、一日に3時間別枠の授業をするというシステムもあるのですが、それにも基準があります。そのシステムには、LDやディスレクシアの子どもも対象になっていません。LDの調査研究に関してですが、平成13年度からは全県で行われる予定ですが、すでに15の県で始めております。15のそれぞれの県で、3.4校に協力してもらい、LDの疑いのある子どもをピックアップし、県レベルの専門家チームが診断し、学校に結果を報告するなどしています。そうした情報をもとにしながら、現在研究の準備を進めています。 

Q.<藤堂>石塚さんにお尋ねします。その調査の結果、何人くらい該当者がいたのですか。

A.<石塚>正式な報告がまだなので、十分には判らないのですが、ある地域では、3校でLDが1名、少し広義に捉えたLDが1名、疑いのある子が3名、ADHDが1名という報告があります。

<柘植>この数字をどう思われますか?(藤堂:非常に少ないと思います)そうでしょうね。実はこのような話があります。アメリカでは州によって、障害の種類で優遇されるものが違います。例えば、カリフォルニアでは知的障害だとよりよいサービスが受けられるとしたら、LDやADHDだと思っていても、知的障害としてサービスを受け、その親御さんが転勤でニューヨークに行ったとしましょう。しかし、ニューヨークでは自閉症のほうがよりよりサービスを受けられるとしたら、自閉症としてサービスを受けるということがあります。したがって、州によって各障害のパーセンテイジにばらつきがあるのは、生物学的には考えられないことであり、そういう事情があるということなのです。これは最近に始まったことではないのです。われわれは、相談にみえるお子さんについて、どういう障害なのか、障害の程度がどれくらいなのかということが、とても気になるのですが、別の見方をすればそんなに気にする必要はないのではないかと思うのです。むしろその国で、あるいはその地域で、どういったサポートが受けられるのか、ということが重要なのではないでしょうか。アメリカなどは日本よりかなりこの分野で進んでいますが、保護者も研究者も最近はそのような見方をする人が増えつつあり、またすでにそういう状況になっている場合もあると思います。アメリカで1975年に法律で制定されてから学習障害の具体的なサービスが始まったのですが、以降、10年おきに追調査が行われています。その都度、すごい勢いで学習障害が増えているのです。そういうことは普通には考えられないことです。要するに、カウントの仕方、あるいはカウントされる側の気持ちが影響してきているといったことがあるわけです。いわゆる医学的な調査からではない視点からの分類・調査であり、それは受ける側にとっては非常に重要なものなのです。

Q.<藤堂>日本では学習障害ということばのために学習障害としてカウントされたくないという人が多いと考えても良いと思いますが。

A.<柘植>非常に重要なことを含んだご質問だと思います。学習障害という言葉が持つ意味が、日本とアメリカではずいぶん違うのです。カリフォルニア大学のロサンゼルス校に、私が何年か前に客員研究員としておりました時に、LDの学生さんと話したことがあります。ご存知のように、あの大学は昨年にノーベル化学賞、その前もそうでしたか、そういう人材を輩出している大学で、大変優秀な学生の集まっているところですが、その話をした学生さんの開口一番に出た言葉が「僕は学習障害です。」だったのです。「特に読みが困難です。」ということはディスレクシアだったのでしょうね。将来の希望を尋ねると、弁護士になるというのです。彼が帰った後、担当の方に「彼はあのように言っているが、可能なのですか?」と尋ねると、「全く問題はないでしょう。」というのです。もちろん何らかのサポートがなされればということですよ。アメリカはそのサポートがなされる可能性が非常に高いのです。ですから可能なのです。このようにアメリカというところは学習障害ということをカジュアルに語られる文化・背景の国なのです。ところが、日本で学習障害というと、文部科学省での定義でも知的には障害がないとうたっていますが、LD学会の発表論文集などを見ますと、知的な遅れがないという子どもも事例としては挙がっていますが、境界線、あるいは明らかに知的障害があるという子どもの研究対象も見られ、おそらく日本で一般市民に学習障害の持つイメージを問いかければ、アメリカとは異なった返事がくると思われます。ですからこの会も、そういうイメージではなく、知的な遅れがなく、あるいはそれ以上の知能がある子どもをどうしたらよいかということで始められたのだと思います。

<藤堂>LD学会でも、LDという言葉を使っていますし、文部省でも1999年の7月にLDという言葉で定義がなされましたので、言葉を変えるといっても難しい状況ですから、イメージ作戦ということで、目下NPO準備会で話し合っているのは、「おめでとう!あなたはLDでしたよ」といえるような環境を日本でも作れたらということです。というのも息子がイギリスで初めてディスレクシアですと言われたときに、日本でいろいろ調べたりすると非常に落ち込むのですが、イギリスですと‘How interesting!良かったね!道理でブライトだと思ったわ’といわれるのです。外国人だからといって大学に入る時に、配慮されることはないけれど、ディスレクシアであることが判れば、時間の配分は長くなるし、スペルミスは考慮されるし、言葉で表現できなければ、絵や言葉以外の方法で表現することが許されているなどとということから、とても明るい未来が広がる言葉だったのです。HPに寄せられる方々のお話でも、LDと言われて落ち込みましたという親御さんのメイルが多いのですが、そうではなくて、LDと言われて良かったなと思えるようなサポートをできるNPOにしたいと思っていますし、また文部科学省でもそういう意味でのイニシアティブを取っていただきたいのです。また報道関係者の方たちにも、LDというのは負のイメージではなく、とても面白いという受け止め方をしていただきたいと思います日本では、まだまだ自分がLDだと認めたがらない風潮がありますが、外国では医者だとか弁護士だとか芸術家だとかノーベル賞受賞者だとか、大企業の社長等など、優秀なLDの人は数え切れないほどいらっしゃいます。日本人では、おそらくお話を総合しますと長島茂雄さんや黒柳徹子さんはgiftedの方々だろうと思われるのです。

<長田・EDGE>恐縮ですが個人的な希望を申し上げます。私の22歳になる息子は今、アメリカのバークリィの音楽学校に通っています。彼が10歳の頃ウィスク・アールという知能テストで70という数字が出まして、中学校から特殊教育に行ったほうがよいと言われました。ところが中学の時点でウィスク・アール90という数字が出たのです。一体20の差は何なのかということが一点。脳神経的なチック症状が出ていましたので、脳波を詳しく検査しましたら、特殊な聴力を持っているということが判りました。普通の人間では聞こえない音まで彼には聞こえるのだそうです。また脳細胞の中に密ではない部分があることが判りました。傷といえば傷なのでしょうが、広がっていくような病気ではないということでした。持って生まれたものだそうです。この症状と彼の抱えている症状との因果関係を医者に尋ねましたら、自分の分野では何ともいえない、それを診断するのは教育心理学の先生でしょうということだったのです。現在通っているバークリィの願書に、LDとしての過去5年間のレポートをコピーしてくださいというオプションがついていたのですが、ただLDとしての継続的なサポートを受けていなかったので添付できるほどのものが無かったのです。同一人物で継続して5年という月日をサポートしてもらえることが無かったのです。こうした実体験を振り返るに、やはりシステム的に改善しなければならない部分がたくさんあるのではないかという気がしていました。またこういうこともありました。息子はマリンバを中指と薬指にバチをはさんで非常に細かな動きをして演奏できるのですが、こういう手法は日本で教えることのできる人はいないそうです。それだけ彼は器用だったのですが、日本ですと高校に進学できないので当然、音楽大学にも進学できないのです。専門学校を探しましたがそれもダメでした。結局相談した方が、それだけの能力があるのならアメリカに行きなさいとご指導くださったのです。思いますのには、運動や職人的な技術や、芸術的なそういうセンシティブなものを学ぶには、普通高校の3年間というものを経る必要があるのだろうかということです。LDというものを、多方面からの才能を見られるような多様なコースが用意できるというアプローチを可能にしたいものです。昔は職業高校のような学校があったのに徐々に消えていって普通高校になり、変わってしまいましたが、もっと子どものうちから個性を重視した教育があってもいいのではないかと思うのです。将来が見えない頃でも、的確に指導してあげるのが、親であり教師であると思うのです。はなはだ個人的な意見で失礼しました。

<柘植>知能テストについて若干申し上げます。今、小学校の時にIQが70と言われて、中学校の時には、90と言われたというお話でしたが、IQが2~3年で20も上がるという子どもは、極まれにはいますが、可能性としてはかなり低いですね。考えられるのは長田さんの息子さんがそういう稀なお子さんだったか、テストする側のミスだったということですね。このテストのミスと申し上げたのは、テストの方法自身にかなりデリケートな部分があるからです。テストを行う側の状況や、受ける側の体調、その二人の相性とか、テストが午前か午後か等で、スコアが違ってくる場合があるのです。5ポイントや10ポイントの違いはすぐに現れます。しかも、小学校の時に受けたテストと中学校の時のテストが同じ種類のものだったのかどうか、ということもあります。また、テストによっては聴覚を使うものと使わないものや、逆に聴覚をフルに使わないと行えないものもあります。その場合、聴覚の優れている子どもですと、ハイスコアになることもあるのです。したがって、単純には20の差を判定できないということです。もうひとついえるのは、IQを検査する方法に、いくつか種類があることです。それに関する相関関係の研究があるのですが、例えば同じ子どもで、田中ビネー検査で検査しますと、WISC−R(ウィスク アール)よりも10ポイントほど高い結果が出る場合があります。最近改良されたWISC−V(ウィスク サード)はWISC−Rより厳しい結果が出ると思います。このように、検査方法はそれ自体の持つ特質によって結果が異なるものなのです。

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