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基調講演基調講演・上野一彦(東京学芸大学教授・日本LD学会会長)
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| 私がLDと関わったのは、1960年から1970年にかけてであったと思います。たまたま、研究上係わり合いのあったProf.サムエル・カークが、知的障害の子どもに対する早期教育に非常な関心をお持ちの先生で、日本にもいらっしゃったことがありました。彼は、知能検査というものが、IQや精神年齢といった全体的な数値で捉えるよりも、もっと子ども一人一人が持つ違いで捉えたほうが役に立つだろうし、それを調べるための心理測定があるはずだと、早くから主張していた先生です。 学生時代に出会った先生ですがそれ以来、何かとご縁があり、1973年だったでしょうか。彼から彼の著書を翻訳しないかと言われて着手し出版したのが、LDについての本でした。私がLDを知ったのはその翻訳本の話の数年前でしたが、さらにさかのぼること、1962〜3年あたりに、彼がLearning Disabilityという言葉を使ってはどうかと提唱し、それまで苦しんでいた親たちが一斉にそれを受け入れたということがあったのです。いわゆるLDの発火点となったのがその1963年の頃の出来事だったのです。日本ではやや遅れて、1970年ごろにそのことが取り上げられました。 翻訳にあたって当時はpsychologistic(心理学上の)という言葉が付随していましたが、Learning Disabilityを「学業不振」という風に訳し、当時の日本の特殊教育研究者に相談してみましたが、答えられる方は誰もいなかったのです。そんな折、1973年の文部省の調査のまとめをされていた山口先生という方が、「どうも、そういうことではないようだよ」と進言してくださり、結局私は自分で「学習能力障害」という訳をつけたのです。 LDの研究については、目の前に次々現れる子どもをひたすら探るばかりで、私自身、手探り状態でした。実体の判らないことが多い中、曖昧なことや、間違ったことも多々ありました。しかし、印象的だったのは、知的障害の中でどれだけ探っていっても、LDには出くわさなかったのが、言語障害のクラスに変わった子どもが増えてきたという話があり、そこで出会ったのがLDだった、ということです。 しかしちょっと自信を持てたことがありました。実際にLDの子どもたちを大学に集めて指導していた時に、学習面でのつまづき、社会性の面でのつまづき、多動の場合が多いのですが、行動面でのつまづきを思い知った中で、ソーシャル・スキル・トレーニングの有効性を発見しました。週に一度、土曜日の午後、子どもたちがそれぞれ学校が終わった後で、大学のそのクラスに集まってくるのです。その子どもたちを一番刺激できる有効な指導がどういうものかを、われわれは模索するのですが、集団の中で教える方法が非常に有効だということが判ったのです。アメリカで1987年に出された定義の中で、ソーシャルスキルを入れるべきという部分があり、いつも外国からの情報を得ることで研究が進む状況にあった中、自分たちの研究でも、共通に発見できることがあったと、大いに自信となりました。 前置きが長くなりましたので、先を急ぎましょう。 日本では「障害」というとかなり重いイメージがあるようです。先般のパラリンピックでは、聾の方の参加がありませんでした。運動における障害が無いからということのようです。日本の障害に対するイメージを再認識した出来事でした。 私が指導した全盲の学生が、この春卒業して宮城県の盲学校に教師として就職しました。しかし、彼自身としては普通の免許を取得して、普通の学校で教鞭をとりたかった様です。実に優秀でしたし、すごい頑張りやでもありました。われわれの障害に対する認識をことごとく打ち破っていった彼には、感謝状を出したいくらいでした。われわれのほうが彼によって学ぶことが多かったのです。 LDと付き合ってきて思うことは、障害が個性として捉えられるようになれば、本当にハッピーなのだが、ということです。私は障害とは理解と支援を必要とする個性だと思っています。(図2)前回、柘植さん(国立特殊教育研究所)が講演で詳しくデータを示されましたのでここでは簡単に触れるだけにしますが、日本の特殊教育の全体に占める割合は1%にすぎず、外国と比べてあまりにも差がありすぎます。(図3)イギリスでは細かい部分も含めますと20%位までいきますし、特にアメリカの場合、システムで教育が持っているような国ですから、ケアが手厚いですね。特殊教育といった時に、Special Educationと表現したほうが良いと言われていますが、障害の中でも重いという表現はimpairment、機能がうまくいっていないという意味のdisability、それとhandicapという表現がありますが、日本の場合は、障害イコール重いというイメージが強いです。しかし、DisabiIityに関しては、必ずしもそうではないようです。 この表は(図4)文部省であるとき議論していただいたものから作ったものですが、日本には普通の学校と、特殊学校があって、これまでは特殊教育をこういう範囲でやってきたのです。この部分が1%だという意味ですね。これに対し、LD、ADHD、高機能性自閉症などといわれる、われわれが見過ごしがちな子どもの中に、そのままではやはり落ちこぼれていく子がかなりいるということから、特別支援教育という形で実際に通級による指導というものを含めながら広げていくという時代になってきたのではないでしょうか。これは(図5)大変象徴的な図です。この1980年という年は大変意味があるのです。1979年に日本では養護学校が義務教育化されて、つまりどんなに重度の障害のお子さんにも義務教育の光があたったのです。それからそういう対応がどうなっていったか。実はとても不思議なことに、義務教育化が完成して、世界に誇る法律的な整備が出来たにもかかわらず、実際には特殊教育というところで教育を受けるお子さんの率がどんどん減ってきているのです。確かに子どもの数そのものも減っているのですが、割合という点で、減少化しているのです。このことはとても気になる部分です。つまり、特殊教育というものはある面では充実したものになったものの、ある面では数の上から見る限り必ずしもそうではなかったということです。 この図(図5)では、1990年にボトムになっています。こんな見事な図があるのだろうかと、これを見るたびに、いつも私は心の中で、歴史の中に存在している自分を感じます。 1990年に何があったのかと言うと、初めて文部省がLDというものが日本にもいると発表し、7月ころだったでしょうか、これから調査・検討するということになった年です。 時を同じくして、通級による指導の検討が始まりました。通級による指導というのは、言語障害を中心に一部の情緒障害を含め、それに対する指導が通級という場を借りてという体制を示しますが、当時は法的に整備がなされていませんでした。それを整えていきましょうと言うことだったと思います。特殊教育を通級による指導と言う形で検討が開始された1990年に、その場でLDについても検討していくことが約束され、私も協力会議に呼ばれました。思い出しますのは、ある医者とかみ合わされまして、LDと多動の問題についてやりとりしたことですね。その1990年から2年後、正式にLDの研究が始まり、1999年まで7年間続きました。そういうひとつのエポック・メイキングの年が1990年であるのです。アメリカでは1963年を私はLD元年と呼んでいますが、日本ではそれが1990年であるということです。 次の二つの曲線は、上が特殊学級で、下の緑の線が盲・聾・養護学級の子どもの推移です。全体的な子どもの数の減少はあるものの、これらの子どもの数はだんだん減少したのです。これは特殊学級のお子さんが通常学級に移っていっているということも表しているのです。マスコミのこの部分に対する捉え方について、私はとても浅いと感じるのです。支援が必要なお子さんを通常学級に入れたとか、入れることが出来たとかを美談で取上げるのはいかがなものでしょうか。教育者の中にも、一部そういう見方をされる方がいらっしゃいますが、教育の使命というのは、通常学級に入った子どもたちが、そこでどれだけの十分な教育を受けることができるのか、彼らが社会に飛び出すための準備がどれだけ整っているのかという部分にあるもので、そういう入り口だけの評価には非常に見識の無さを感じます。余談になりました。 話を戻しますと、1995年に通級指導が法的に整ってスタートし、ここからこのシステムにのっとった子どもたちが増えているわけです。それに伴い、全体としても増えたのです。子どもにとって行き先の選択肢が増えると、それぞれ利用する子どもが増えるわけで、全体的にも増加すると言えるのではないでしょうか。しかし、これはそもそもが、わずか1%の範囲の中を拡大して見ているので、非常に劇的でありますがあくまでも、狭い範囲の話ではあります。いずれにしろこういう調査・検討をされた文部科学省の評価は大いにしたいと思います。 われわれ研究者も、日夜努力をしているわけですが、不登校やいじめなどなど、学級崩壊の要因について調べますと、やはり、その要因の中にLDやADHDの係わり合いを 見出さずにはいられないのです。この表(図6)をご覧ください。学級崩壊の要因で、多い順に並べてみますと、LD・ADHDに関する要因が色濃く出ているかと思われます。第1の要因にある、「学級経営に柔軟性を欠いている」という点について、やはりLDやADHDにとって柔軟性は最も求められるものでありますから、起因するところが大きいと思われます。次に多い要因の「授業内容と方法に不満をもつ子がいる」については、もう明らかですね。LDの子どもで授業に不満が無いと言う話は聞いたことがありません。3番目の「いじめなどの対応が遅れた」に関しては、LDのお子さんの中で90%以上のお子さんが、学校で、あるいは家庭や地域でもいじめに遭っていますから、これも頷けますね。次の「校長のリーダーシップや校内の連携・協力が未確立」と言う点ですが日本の学校の体質は、校長が一人で抱え込む体質なのです。色々なタイプの校長はいますが、こういう体質がマイナス面に出る場合が多く、退職校長を助っ人にと言う提案に関しては、必ずしもメリットがあるとは言えないと思いました。 次の「家庭や地域などの連携・協力が不十分」。まぁ、そういうこともあるでしょう。 「ティーム・ティーチングなどの授業の工夫が学校全体で活かされなかった」と言うことですが、これは先生が余った場合に利用したシステムで、子どものためのシステムと言うより先生のためのシステムと言ったほうが良いでしょう。そういった点でモラル・ハザードが起こりうるのです。しかしLDにとってTT制度は良いということです。こうして要因について検証してみると、LDの子どもたちが大変厳しい目に遭っていることがオーバーラップしてきます。 これは(図7)今日のために作ってきたものです。歴史というものを振り返るに、人間の特徴ある行動が見られます。1800年代以降の欧米の小説や映画などで、よくディスレクシアが登場します。孫がどうもうまく字が読めない。父親は心配するのですが、おじいさんが、実はわしもそうだったと、医者に連れて行くシーンなどがありますね。また戦争などで脳に傷を負ったとして、医学の中で脳の部位のことが語られるようになりました。ディスレクシアは右脳だとかっていう風によく言われますが。そうした大人の脳障害の問題から1950年から60年にかけてMBD:微細脳機能障害が登場します。その時のMBDというのは学習困難と多動という二つの特色を持ったものとして説明されていました。1960年にMBDの多動の問題に対してリタリンという中枢刺激剤を使う記念講演があったことを記憶しています。アメリカなどでは、MBDの特に学習の問題とか、ずっと続いてきたディスレクシアの問題などをLDという言葉で捉え、1963年でブレイクし、1975年で法体制もしっかり整備したといえると思います。その結果として、このとき多動の部分が置き忘れられたのです。まだ、資料で確かめていませんが、UCアーバインからいらっしゃった先生が、1990年にそういう公式の通達が来たとおっしゃっていましたが、私が文部省から聞いた時は、1999年にアメリカの教育省の中で、その他の健康障害の中にADHDを入れたということでした。いずれにしても80年代の終わりから90年始めにかけてADHDが取上げられたのです。これが歴史です。 LDとかADHDに関しては、私は発達障害と考えています。(図8)発達障害と言うのは脳の何らかの負担といいますか、外傷と言いましょうか、様々な物理的な状況によって起こす場合と、てんかんや、放射線治療などでどこかが影響してくるといったことがあげられます。また最近では、極低出生体重児のお子さんが、医学の発達で実に見事に育てられるようになりましたが、一方ではどこかに無理がかかって影響してくる可能性も高いわけです。これも発生の背景の一つでしょう。またこうした分野のものは家族集積性も無視できないと思います。私自身もLD with ADHDだと思っていますし、LD研究者たちは60%が自分がそうであると言っていますが、私の父なども私以上にLDの要素が強いです。 最近、思いますのはLDとADHDが重複すると言うことです。(図9)いろいろなデータ-が出ていますが、定義を甘くすると50%以上、私の考えでは30%程度が重複していると見ています。今年のデーターでは、200人くらいのかなり厳密なものでしたが、それによればやはり30%ちょっとでしたね。とにかく、LDとADHDは重複します。重複すると同時に、LD・ADHDそれぞれの特徴へのアプローチは違うと言うことをよく理解しておくことが大事かと思います。 LDに関しては、学力指導やコミュニケーション指導、ADHDに関しては薬物療法や行動修正、重複の場合はソーシャルスキルトレーニングや感覚統合療法があります。 ADHDはLDを語るときには必ず触れなければならないと思います。私は1992年に、一年間アメリカで研究をしてきましたが、LDAなどのパンフレットを見ても、必ずそういうことが出てきます。これは逆ですが、ADHDの子どもの中に純粋にLDを持つ子どもは35%いるというデーターもあります。定義を甘くすればその重複度は50から90%にまで広がります。ADHDの子どもで、全く学習に支障の無いという子どもも、あまりいません。 ADHD児における問題は「小学校の中学年あたりになると結構落ち着いてくるよ、溶け込むよ」と言う風に言われています。LDでADHDを持った子どもたちを20人ほど集めて指導すると、それぞれの学校ではとびっきりの子どもなのですが、そういう子どもばかりが集まると、その中の1/3が飛びっきりになってくるわけです。なかなか特化するのは難しいものです。とにかくADHDの場合は結構目立たなくなると言うのはありますね。ここで、テープを回しているので、非常に申し上げにくいのですが、黒柳徹子さんあたりは、症状の改善消失例の典型だと思います。一度、きっちり正面からお話をして、LD・ADHDの先頭に是非たっていただきたいと真剣に考えております。 大人になっても続く多動ですが(図10)、大人になると多動が多弁になったり、腰が軽いと言われたり、頭の回転が速いといわれたり、あるいはあの人にはついていけないと いわれるような場合は、症状が続いていると言えるでしょう。問題は症状が悪化する場合です。この障害が内在化することによって、不安障害あるいは回避性人格障害という問題が起こり、病院で対応すると言う事態になります。また、外在化することで行為障害または反社会性人格障害を起こしますと親御さん方が非常に心を痛める状況になってまいります。こういう風に、色々な姿をとり得るということも申し上げねばなりません。 特に日本の場合ですが、知的な心理検査を使わなくても、物事が成り立つ時期がありました。これは明らかに障害の重い子どもが中心だったので、そういう検査の有効性が無く、真の意味をなさないと言うことがあったからです。今、LDに関して初めて知能検査の意味があるのだと思います。ITPAという検査を始め、ずいぶん色んな検査を手がけましたが、今おそらく日米の間でもウィスク。が一番標準的に使われているものだと思います。日本でもこの検査を標準化したのは、その必要性を感じたからであります。 一般にIQが70〜75以下の場合を知的障害として、知能の遅れを第一項的に取上げます。(図11)IQ75〜90あたりをスローラーナーと呼んでいますが、この境界に位置する子どもたちは、学校で非常に辛い思いをしている可能性があります。 偏りと言う意味では、臨床的には特徴をもつ自閉症があります。昔は自閉症と言うと、重度の知的障害とされてきましたが、最近では逆に高機能性自閉として知能は正常だが自閉という形で捉えられています。ダスティン・ホフマンのレインマンという映画がまさにそのものですね。弟役のトム・クルーズが自閉症の兄役のダスティン・ホフマンに初めて会いに行く場面で、兄が挨拶もせず、いきなり車の生産台数を言い出し、弟がとても驚くのです。病院側に兄は知恵遅れかと尋ねると、いいえ、高機能性自閉症だと返事が来るのです。 LDは自閉のような偏りとは異なります。自閉の場合は、対人認知・コミュニケーション活動・行動のレパートリーの制限といった三つのことがはっきりと特徴付けられます。しかしLDの場合はもっと様々な領域のレパートリーからほんの僅かな機能の悪さが特徴なので、もっと広がります。知能のとても高い人もいます。エジソンやアインシュタインなどは、LDの上澄みのような人たちであろうと思われます。 LDはスローラーナーとかなり重複します。1992年にアメリカに発つ前、「先生のところに来ている子どもは、知能が低い。IQ90以上じゃないとLDとはいわないんだよ」とずいぶん言われました。しかし、アメリカに行きまして、最後はサンフランシスコにいたのですが、そこのUCSFの中にある神経研究所で貰った、8000人の障害児を対象にしたIEPを受けている子どもの分析データには、アメリカのLDでも、IQが90以下と言う子どもは50%以上、115以上の子どもはわずか5%程度に過ぎませんでした。アメリカではこの境界部分のことはとやかく言いません。個々の問題として捉えているので子どものニーズに合わせたプログラムの方を重視するのです。境界の部分の子には個々に、LD用のプログラムが合うのか、知的障害用が必要なのかを見極めることを重視します。子どもと言うのは、一応診断はあるのですが、線は引きにくいものです。一応の線を引いても、絶対視してはいけないと感じます。われわれは今日のLDの新しいモデル事業では診断とは言わずに、判断と言う言葉を使っています。判断と言う言葉のほうが多少の曖昧さを許す部分があるような気がいたします。 時間がなくなってまいりましたので、急ぎましょう。 LDの場合は私は5つの捉え方があると考えています。(図12)@学力の特異な困難。ディスレクシアはまさにこれにあたります。医学的に言うと、Learning Disorder といって、LDの最もピュアな部分です。イギリスではspecific learning disabilitiesいうとこれに近いですね。LDの中でも特定の、と言えるようです。 教育まで定義を広げますと、Aの話し言葉の特異な困難が入ると思います。一応定義上は@とAまでですが、1987年にはアメリカではBの社会性の困難を入れる提案が出されています。先ほどのUSアーバインの先生も、類型的には社会性の問題も入れるとおっしゃっていましたが、定義としてとなりますと、あまりにも範囲が広がりすぎる気がします。ニーズとしてこのような範疇もあるということは忘れてはいけないと思いますが。Cの運動能力の困難に関しては、発達障害としては必ず付随してくるものであります。Dの注意集中困難・多動性に関しては、LDそのものではありませんが、重複しやすいと言う点でのニーズとして挙げております。 さて、文部科学省がLDの判断と実態把握体制に関するモデル事業を行っていますが、 (図13)平成13年度はモデル校を現在の15県から47全県に広げると言うことです。こういう風にして徐々に広がりつつありますが、日本の教育と言うのはこのように、パッとは飛びつかない割りには、石橋を叩いて、まぁ、叩いても渡らないこともありますけど、渡ってしまうと後退することは無く、着実に積み上げていくと言う良さがあるように思います。 私は今、東京都のモデル事業に関わっていますが(図14)、対応過程として次の二つがあります。ひとつは、校内委員会といって、先生一人に任せるのではなく、学校全体として様々な支援や理解の必要な子どもたちを、教育としてちゃんと見つけていこうという取り組みです。二つ目は、東京都では専門委員会と呼んでいますが、学校の中で簡単にLDだよと言ったり、勝手に決め付けたりしてはいけないことになっており、先生方の財産の中でこの子たちに何ができるか知恵を出しあって、それで不十分なら教育委員会が音頭をとって専門家のチームを作ろうとしています。こういう形でLDはじめ様々な子どもたちが、しっかり受け止められていくだろうと思います。大事なのは判断なのですが、医者にだけ任せるのではなく、医者の協力を得ながら、先生がこの子に学校というところで何ができるかということを、真剣に考えるという当たり前の姿が求められているのだろうと思います。 LDの指導というと、次の二つの特別な配慮が求められています。(図15)一般的な配慮指導。これは学習の遅れのある子どもたち一般に対し、勉強に前向きにさせる。その子のレベルや速度にあった教育をする、あるいは普通の階段よりもっと細かい階段で指導するという一般のことが基本にあります。もうひとつの特別な配慮指導ですが、LDの子どもは脳の中にたくさんの知識の引出しがあるけれど、その中のほんのいくつかがうまくいっていないのではないか。ではそのいくつかというのはどこだろう。その引出しの中にどうやって上手に情報を入れたり出したりしてやればいいのか。と、そういう場所を見つけたり、その種類を考えたりすることが必要になってくるわけです。これがLDに固有な特別の指導原理なのです。 ちなみに、右脳・左脳と言われますが、人間の脳はデジタル処理的なことと、アナログ処理的なことの二種類のことをやっています。一般の人はその両方をバランスよくやっていて、安定した良い学習が出来ているのです。たまたま、片方が、あるいは、その一部が弱いと言う中でどこが弱いのか、そういう部分は視力で測ったり、あるいは体重計や身長計で測るようにはいきません。頭の中のことなのでなかなか掴み難いのです。しかし、知能検査等を使うことによって、それが少し見えることがあるのです。これがLDの子どもたちを理解する時の基本です。 耳から入ってくる機能でも色々なレベルの仕事がありますし、目から入る機能もそうです。計算が出来ても、それ以上になってくると難しいとか、様々なことがあります。 記憶にも色々ありますが、これは一度頭を強く打ったりした経験があるとよく判りますよ。私も、一度酔って自転車で標識に激突したことがあります。救急車で運ばれた時に、最寄の電話番号を聞かれたらしいのですが、激突した前後の記憶が全く無いのです。古い記憶と言うのは安定するのですが、新しい記憶は不安定です。よく、何でこの子は覚えないんだと言うことがありますが、興味のあることは覚えられても、機械的なことはすぐ忘れると言うことはありますよね。そのうち皆さんも、50過ぎればあれとかそれで話し始めるでしょうし、電話番号も何を食べたかも忘れるようになるのです。年齢とともに記憶が不安定になるのが人間なのですが、たまたま、子どもにはそういったことが起こらないと思い込んでいるだけで、起こっている子どももいるということです。 メタ認知と言うのがあります。これは、全体を眺めながら、物事をすると言うことです。例えば私がこうしてお話をしながら、「一時間で終わらせなければいけないのにな」と全体を思ったりすることです。こういうことがLDにとっては苦手なのです。 この子達に対する支援の場はこれからどんどん充実していきます。(図16)日本では軽度の障害の子どもに対する支援が全くありませんでした。われわれも色んなオプションを考えたいのですが、通常のクラスにはたくさんいます。まず、そこを舞台にしてどうするか。先生自体がLDを知っているか否かで、ずいぶん違います。これが担任による配慮指導です。またティーム・ティーチングを有効に活かせば、色々なスタイルが考えられます。二人の先生がいるわけですから、一人が教えて、一人が見回ると言うことも出来ますし、二つの課題をクラスを二つに分けて行うことが出来ます。さらに複数のクラスがあって、ティーム・ティーチャーがいたら、例えば三つの課題を二つのクラスを解体して、行うことができるのです。こういう柔軟性を考ると、人的にずいぶん変わっていきます。 もちろん通常学級の場のみで、全てが解決するわけではありません。これも1992年から1999年の調査研究の中で、学習室を学校の中に設けて、そこにいる先生がLDのことをわかっていたらどうなるか。あえてオープン教室と名づけたのはLDの子ども以外の子でも誰でも来て良いということで、勉強でつまづいていた子も含めて、もっと身近に子どもたちを支援する場があってよいのではないか。ということが検討されました。そういう場がどんどん増えていくべきだと思いますが、何事にも予算と言うものが関わってきまして、それは国にお任せすることにいたしましょう。また、専門家による通級への巡回指導は、先生方にとってとても良いことなのですね。一人で悩むことも無いし、どうやったらかみ合うかということが見えてきたりもします。 特別な場での指導(図17)は、これからは必要になってきます。すでに、情緒障害や言語障害の子どもの、通級指導が1995年からスタートしています。LDの子どもがこういう指導にうまくかみあうようでしたらよい結果が出ると思います。アメリカのリソース・ルームではLDの場合、学力の補償なのです。リーディングが弱い子、あるいは算数が苦手な子用という風に、通級による指導に類似したまさにLDのための場を考えていくということがなされています。 今すぐにそういうものを作るのは大変ですが、目下国立特殊教育総合研究所でも、LD学会でも、LDを目の前にした時に教師はどういう技術と理解を持つべきかと言う形での、専門家養成用のプログラムを作っています。そういうものが教員養成の中に取り込まれることによって、こういうものを作る、そしてそれを担う人的なマン・パワーも備わってくるのです。こうしていろいろなことが着々と進んでいます。 (図18)よく、相談の中で頑張れ!と言いますが、親が軽々にこれを言うと、子どもはとても苦しむのです。子どもは「何を」頑張ったらよいのかわからないのです。LDの実態を知るということは、その「何を?」ということを私たちは明らかにしたい。 よく言うのは「どうして出来ないの?」と言うことです。ADHDの子どもに「どうして座っていられないの?」とよく言いますが、その子どもは精一杯頑張っているのです。私も子どもの頃いつも落ち着きがないと、ずっと書かれてきました。ノートもろくにとっていなかったと思います。かろうじて耳が良かったので記憶することによって、それで取り繕ってきたところがあります。でも、友達とうまく歩調を合わせたいと、それなりに頑張っていたものです。しかし、どうしてみんなは僕と同じ様に考えたり行動したりしないのかなと、悩んだこともありました。 また、相談で大人になれば大丈夫と言う風に、問題をすり替える人がいますね。 登校拒否の子に、大人になれば学校がなくなるからとか、カウンセラーの中には勉強なんてどうでもいいとか言う人がいますね。本当にそうですかね。いつか出来るようになるとも言いますね。でも、それはいつ?僕だってわかりたいんだよと、子どもは思っています。 私がLDの子たちと付き合って思ったのは、まず、一番最初に受け入れること。次にそのこのできることを見つけてあげること。LDの子は概して不器用ですが、運動は指導すると確実に身に付けて上達していきます。恐怖感を与えず、楽しいからすぐ好きになります。しかし、勉強はなかなかそうはいきません。面白いと思わせるのは実に大変です。 私の教え子で電気技師になった青年がいます。彼に小学校6年の時だったでしょうか。 分数で通分を教えていたのです。たまたま、かみ合って、「あぁ、そうなんだ」と覚醒したんですね。ヘレン・ケラーが水を認識したほどではないにしろ、そういう状態になり、そこからどんどん入り込んだのです。 私たちは子どもたちを目の前にした時、「先生、こうなんだね!」と言わせたいのです。そうすると、必ず信頼感になるし、もう一度やってみようとか、他のこともやってみようという風にチャレンジャブルになるわけです。子どもというのはすぐ、やる気を無くすといいますが、なくさせるのは、私たちなのです。5年でなくしたものは5年かかっても到底取り戻せるものではありません。だからこそ、早期診断・早期理解が大事なのです。 これはアメリカのLDの教室に書いてあった言葉です。「もしも、私たちの教え方で学ぶことが出来ない子どもがいたら、その子どものやり方で教えてみたらいかがですか」 こんな当たり前なことを、日本の学校では上から押し付ける先生がまだまだ多いのです。私はLDという子どもに接した人たちは、他の子どもに接する時でも、非常に良い力を発揮すると思っています。そういう意味で、私のところで育った学生は、就職したらLDだけではなく、全ての子どもたちにとって教師らしい教師になります。私自身がそれをLDから学んだと思います。<拍手> |