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質疑応答
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| 田口正敏:一卵性双生児で両者がLDという事例はありますか?また、一人はLDでもう一人はそうではないという事例がありましたら教えてください。 上野:非常にレアケースになると思います。研究の初期の段階で私が出会った双子の女の子は「ふたりのロッテ」のように、異環境で育った双子でした。顔はそっくりでしたが、性格はずいぶん違っていましたし、異環境で育ったために印象もずいぶん違いました。しかし、驚いたことに知能の偏りがとても似ていたのです。IQを取り上げた時にプロフィールを見ましたら、レベルに若干の違いはあったものの、その偏り方は非常に似ていましたね。それを教育心理学会で報告したことがありましたが、ただし残念ながらこの例はその後、一方が白血病で亡くなったため、そこでストップしてしまいました。この例から遺伝学的に見て、認知面に関してですが、かなり関係があるのかなと思いました。 田口:他の病気のようにLDに関して動物のモデル実験というのはできると思われますか? 上野:I have no ideaですね。しかし、研究はずいぶん進んでいるようではありますね。医学の面ではADHDは染色体の5番目がどうのこうのと言ったりしてその後、立ち消えになったりということもあるようですが、知的障害と違ってLDの場合は非常に高度な認知機能の部分なので、そういうやり方が果たして生産的なのかどうか、私としては興味がありません。時代が進んでいますから脳の精密な機能測定が可能になれば、通常の状態とLDの状態に対してある説明がつく時代がやってくるかもしれません。しかし、知的障害でさえメカニズムがどれくらい判っているのだろうかという部分がありますので、LDにいたっては、いずれは判る時が来るとしても、容易ではないと思っています。 田口:最後の質問です。先日キューバを訪れた折に、小学校・中学校の見学に参りましたが、LDに関して認識しているか否かは定かではないものの、どちらにもLD児が 一応いないというお話でしたが。 上野:それは頷けますね。教育に関心が深まるに連れて子どもに対する目も敏感になるものです。時代と共にLDが増えてきたということについても、花粉症と同じで最近になって急に増えてきたわけではなく、社会的、歴史的な背景によって、関心度が増して研究が進んだ結果、数字が増えて来たということです。この場合もまだ関心がそこまでではないということで、同じことが言えるのではないでしょうか。 程野美和子:ニ点質問いたします。遺伝的に発生する割合を教えていただきたいということと、日本もアメリカのように特殊教育をする学校に、専門の心理学カウンセラーをおいて全てをお任せするようなシステムは取れないのかという点をお尋ねします。 上野:割合についての質問に関しては、領域によってずいぶん違います。一昔前には知的能力の分野では、遺伝が7割で環境が3割といわれた時代もありました。しかしパーセンティジという点に関しては、例えば、一卵性双生児、二卵性双生児、兄弟という比較の中で、どういう共通項があるのかという調査分析は、伝統的に行われ続けていますが、LD・ADHDなどの発達障害のように、何らかの生物的原因が背景にあるとされているものの場合、部分的には遺伝的背景があると言えるでしょうね。 システム上の問題については、国によってずいぶん事情が違います。アメリカの場合、 分業体制でかろうじて支えてきているという状況があります。日本の場合は、一人の先生が全教科の指導から、生活指導、不登校の指導にまであたっています。要するにアメリカの先生は自分の専門分野においてのみ、契約的に指導するものであり、専門を超えることに対しては、その専門家に委ねる方式です。不登校に関しても、アメリカでは児童虐待が主要因と考えられることが多いので、警官を呼ぶことになります。カウンセリングに関して整備されているのも、そういう分業上のことだと思います。私は、個人的には日本が行ってきた、「一人の先生による指導」の良い面を残して、一人では指導しきれない部分をほかで補う教育が望ましいと思っています。 長田政江:子どもがLDだったことから、かれこれ十年くらい関わってきた中で、最近、少しまとめてみましたところ、気になる点がいくつかあります。LDのことが報道される都度、説明のためによく使われるのが「障害としては軽いので」という但し書きです。LDの概念の柱となっているのは「知的にはノーマルだが」ということだと思いますが、では、知的にはノーマルでも、LDとしては「重症」だという症例は無いのでしょうか。また、精神発達遅滞だけれど、学習障害は全く持っていないという症例はありますか。よく「LDとその周辺」という捉え方をされてきましたが、先ほどの先生のグラフに、縦軸にIQ、横軸に障害の種類をとったものがありましたが、あれを見る限り、どちらかというと「知的障害とその周辺」と言ったほうがLDを捉えやすいのだろうかと思えるのですが、そのあたりを整理してもう一度お話してくださいますか。 上野:最初の質問ですが、LDにも重い、軽いはあると思います。そしてその程度は、三つの要素で決まると思います。1に知的なレベルの問題。IQが低いと、リカバリーする力が無いのは確かです。したがってIQはひとつの要素といえます。2に領域の問題があります。LDというのは自閉症や記憶力に障害のある子どもに似た要素があって、特に記憶力の障害があるといろいろな学力に支障が伴うものです。どうしても言語性IQの低いほうが重さを持ちやすいと言えるでしょう。また就労ということになりますと 社会性の問題が出てきます。社会性が育ちにくい場合は先が見えませんから、これも重いといえます。このように領域によっても重さの度合いが違ってきます。3には、2次症状の長さが挙げられます。親がそれと判らず、長い間放っておいた場合、不必要に子どもに与えなくてもよい弊害を与えてしまうことがありますね。その実態をまとめたものがあるのです。この三つの要素が絡んでLDの状態が決まるのです。あえて申しますが、カウンセリングにあたっても、特に親が、どれ位客観的に子どもの状態を理解しているかが大きく関わってきます。 次の質問ですが、知的障害とLDは、かぶる部分というのはあり得ます。ただ、知的障害の場合、まず知的に低いのかどうかに重点を置き、次にその上で偏りがあるのかどうかを見ていきます。またLDの場合は、まず、偏りがどの程度のものかを十分調べた上で、それからIQが非常に高いとか中くらいとか、やや低いと言う風に見ていくのです。興味深いのが1990年の調査による文部省からの質問です。「知的障害と学習障害では教え方が違うのですか」というものです。なんと言う質問だろうと驚きましたが、ある意味では非常に大切な質問でもあります。と申しますのも、ボーダーの子どもの指導は共通するのです。知的障害の子どもでもLDのプログラムが合う子どももいますし、逆にLDの子どもが知的障害のプログラムが合う子どももいます。アメリカでも全く同じですが、子どもによって一番効果的なプログラムを探すことが第一であり、そういう意味ではプログラムが入り混じるのは当たり前のことなのです。これも実態を調査したものがあります。同じLDの子どもでも、合うプログラムは同じとは限りません。大切なのは、要は、その子にどのプログラムが合うかということなのです。 藤堂:LDの程度について伺います。先生はLDの程度は知能程度、LDの分野と育成環境による二次障害の程度によって決まると仰いましたが、どうも親として近くで見ていると知能程度や周りの環境に関係なく、思考回路が普通の方とちがうのがLDであるように思えます。知能程度の高さと読みにくさや書きにくさ、短期記憶の悪さとは直接的な関連がないように見えます。確かに知能程度が高いとそれなりに自分でその困難さを補う方法を編み出しているように思え、その結果軽く見えることはあると思いますが、如何ですか? 上野:それは程度の問題ではなく、先ほどお話しした中の分野の問題だと思います。 藤堂:確かに同じ困難さを抱えたLDと言うのは少ないと思います。LDの症状は多岐にわたっていますし…。それでも同じ分野の中でも読みにくさの度合いの違い、書きにくさの違いなどはあると思います。それを持って、シビア、モデレート、マイルド渡英国では分けているように見えますが。ところで、LDの発生率は諸外国でも多少のばらつきはあるようですが、日本では実際のところ、どれくらいのパーセンテイジだと認識されていますか? 上野:まぁ、この数字がなかなか難しい問題なのです。欧米では10%とも言われていますが、この数字を特定する時に、文部省であまり多い数字では困ると言われたのです。それではどれくらいならいいのかと尋ねましたら、2%位ならと言うことでした。やはり、この分野ではまだまだ遅れていますので、調査、分析、などでも色々都合もあるのでしょう。あまりにも多いと、大変だったのでしょう。このたびは、大型予算を取って、全県で実態調査に乗り出すとのことですから、今度は大いに期待できるのではないでしょうか。 司会:それではここでロンドンからお越しの特別ゲストをご紹介いたしましょう。坂井裕子さんです。坂井さんはロンドンに住んでいらっしゃいますが、イギリスでディスレクシア研究会をお作りになったのです。坂井さん、お願いします。 |